2016年6月30日 (木)

なかやまそらんの俳句指南 3

作った句を推敲するのは大事ですが、そればかりやっていても、こんがらがってできませんよ。
ここの話を頭に置いてまずは作ること。
自分の好きなように作ってかまいませんよ。
それより、俳句を読んでください。
ここで話されていることを頭に置いて、書かれている以上の世界を見出せるかどうか、そこが大事ですよ。
是非、自分の俳句に完璧を求めるような気持ちは持たないようにしてくださいね。
こういう話は面と向かって話したいところですが。

話しっぷりがきついかもしれませんが、書きなぐりに近い文章なので、優しくなくてごめんなさい。
誤解されなければいいなと思っています。

投稿: そらん | 2016年6月24日 (金) 17時44分

せーこさん、こういう場の提供ありがとうございます。
お言葉に甘えて、もう少し、先に進んでみますね。
ただ、雨は続きますね!

投稿: そらん | 2016年6月24日 (金) 17時46分

はい、作ってます。
それに、宇多喜代子先生の書かれたご本も読み進めています。

ほかの本の誘惑もあり、毎日数ページしか読めてませんけど。

せいこさんとそらんさんの、意見の交換も、ちゃんと読んでいます。うまく書けないので、書きませんが、まじめに俳句と向き合っていますよ。笑

わたしからも、せいちゃん、ありがとう。

投稿: ぼん | 2016年6月24日 (金) 22時23分

いましばらくこの前、もらった二人の作品で検討していきますね。

ぼんさんの句。

着信音ぷつりと切れる夕薄暑

今回の句の中ではこれが一番好きな句です。
比較的無理のない言葉でできあかっていて一番理解されやすい内容だと思います。
電子音と薄暑しかも夕方のモヤっとした空気が面白い取り合わせにあります。
この線を大切にしてください。

そう言っておきながら、この句でもう少し考えてみたいと思います。
ダメな句とか一切言ってないのでご安心ください。
作り方のヒントとして捉えてください。

句の中に情感をつないでいく。

着信音のぷつりと切れる夕薄暑

上五中七を助詞でつないで切れをなくすだけでゆったりとした夕暮れの気分がプラスになります。

または、一句一章にしてみる。

着信音ぷつりと切れて夕薄暑

着信音がなったけれど、撮る前に切れてしまった。その気持ちが気づけば薄暑ながら夕方になっていたみたいな感情も出てきそうです。

少しリズムを加える。

ぷっつんと切れる着メロ夕薄暑

中七を名詞止めにして切れをはっきりさせることも考えられます。

着信音に対する感情を植物に受け止めてもらう。

着信音ぷつりと切れてかきつばた
着信音ぷつりときれて濃紫陽花
着信音ぷつりと切れてすいかずら

などいろいろ考えられます。
それぞれの花の姿や色合いで何か感じられそうですね。

じつは、もうひとつ試してみたい句がありました。

雨がえる見つからぬよう葉の陰に

という句がありました。

この句は、見つからぬようという表現がかなり説明を強くしています。

それを考えていたら、見つからぬようにぴったりくる情景がありました。

着信音やんで葉裏に雨蛙

こういうのもありですね。
少し遊び心でもあります。

投稿: そらん | 2016年6月25日 (土) 01時08分

そらんさん

着信音やんで葉裏に雨蛙>>これがいいです。

自分で作ったのは

葉の色に似せてかえるのかくれんぼ>>   やはり、広がっていないですね。

投稿: ぼん | 2016年6月25日 (土) 08時07分

葉の色に似せてかえるのかくれんぼ

これは、雨蛙の説明にしかなっていないですね。
読者に当たり前じゃないかと思われたら、作者の負けです。
とくに季語を細々説明するのは得策ではないですよ。
さらに擬人化するかくれんぼは、俳句の世界を幼くしてしまいます。
擬人化は使い方によるとこういった幼い句になってしまいがちです。
偶然、着信音との合体句も同じ世界が見えると思います。
季語を詠むこと、擬人化が全てダメだとは言いませんが、くれぐれもご用心ください。

投稿: そらん | 2016年6月26日 (日) 01時13分

さて、ぼんさんの小麦句会の結果が出ました。
ひとつずつ検討してみましょうか?

まっすぐな飛行機雲あり汗をかく  

下五の汗をかくが句の世界をくずしてしまっています。
なぜだろう。
確かに汗は夏の季語だけど。
飛行機雲の空と汗が唐突すぎて、情感が伝わってきません。
詩的なものを呼び込めない言葉使いになっています。

汗をかく人を登場させませんか?

飛行機雲のびきて鳶の汗光る
汗光る大工の背に飛行機雲

まっすぐな飛行機雲のまっすぐは説明です。
飛行機雲はまっすぐですから。
人物に向かってくる飛行機雲としてのびくると使ってみました。

いかがてしょうか?
感覚をつかめるてましょうか?

投稿: そらん | 2016年6月27日 (月) 19時44分

ひと塩の鯵の干物の朝ごはん 

次はこの句。
この句はきちんと書かれていて、俳句の形になっているところではあります。
ただ、この句で気になるのは、ので全ての単語をつないでしまったことです。
こうなると俳句にメリハリがなくなってしまぅて、単調なものになってしまいます。
僕の第一印象は、ホテルなどの朝ごはん。
写真付きで。
「ひと塩の鯵の干物の朝ごはん」
と書かれたメニューを渡された感じです。
特選をひとつもらっていますが、多分、ひと塩に感じたのでしょうか?
どこかにこの句を詠もうと思ったポイントがあるはずです。
こんな感じはいかがですか?

潮騒を連れて鯵の乗る朝食

こんな感じにしてみました。
朝ごはん。
朝食。
朝餉。
いろいろありますが、この単語の感じの違いを考えてみてください。
鯵は別に干物でなくても大丈夫です。
朝食ですから、まさか刺身はないでしょう。
刺身でも構わないかもしれませんね。

投稿: そらん | 2016年6月27日 (月) 20時56分

そらんさんへ

まったく、指摘されるだろうなと思っていたところを、ズバリ言われてしまっています。いかんなあ。

鯵>>干物が好きなもので…でも、塩分制限で遠ざかっているものですから、文字にしてみました。すみません。

写真で吟行>>窓枠が出てますね。う~~ん。

投稿: ぼん | 2016年6月27日 (月) 21時49分

ぼんさんの句は一点集中型。
だから、違った目線が入ってこれないようです。

干物を入れたければ

ひと塩の干物が並ぶ夏朝餉

でもいいってことです。
何も鯵の干物でなくていいし、朝の干物だと大体こあじの開きがなんかを想像するんではないですか?干し芋とかは全くないから安心を。

同じように、窓枠とまで言わなくても、窓で充分なものもありますよ。

出てきた言葉に集中するんではなくて、周りもよく見て見ましょう。

何度もいいますが、俳句の題材は季語探しではありませんから。

投稿: そらん | 2016年6月28日 (火) 08時22分

ようやく、一息ついて、パソコンの前に座る余裕ができました。
姑のところへは、午後から出向くことにしています。
長男の嫁としての役割を果たすことがいまのわたしの最優先事項なわけで。
昨日、やまなみ7月号が届いていて、興味深い山下翔論があったので、時間があれば、それをここに引きたいなと思っています。作品もいくつか引きたいし。やりたいことがいっぱいあって、もう、たいへんよ。笑

≫擬人化は使い方によるとこ幼い句になってしまいがちです。
擬人化が全てダメだとは言いませんが、くれぐれもご用心ください

擬人化は要注意。
これは短歌の世界でもよくいわれます。
擬人化は一度やると癖になりそうな気がする。
わたしも若いころけっこうな頻度で使ってきた手法です。
そして、そのたびに失敗してきた。笑
和歌の世界でも多かったんじゃないの?和歌をよく知らないのでここにあげることができんのがふがいないが。

でも、擬人法をつかって見事に成功した例も少なくない。
ほら、金子みすずさんの詩歌なんて、擬人法ばっかり。
幼さの感じられる詩歌ばかりだけど、それが許されるのはそこに詩情とロマンがあるからでしょうね。

≫俳句の題材は季語探しではありませんから。
これは、痛いとこ突かれたなあ。

わたしが短歌をつくるとき、まずは作歌動機を刺激された事柄が中心に来ます。それを飾る語彙や補足する語彙を探して、斡旋して、それで一首を完成させるのに対し、わたしが連句で句をつくるとき、夏なら夏の、秋なら秋の、まずは季語を探して、そこからスタートしている気がします。
俳句もやっぱり、これを俳句にしようという「気づき」からスタートするのでしょうね。

もひとつ、わたしが守ってきた点は、俗っぽいことばを排除することの大切さという点でしょうか。あえて、俗っぽい歌をつくるときは別にして、作品を練るときの大切な要素だと思っています。

投稿: せーこ | 2016年6月28日 (火) 10時30分

もひとつ。
短歌では字数を増やす作業もあるのに対し、俳句は減らすことに焦点が合わせられてることがとても面白い。
窓、窓枠、ガラス窓。
一文字が減るか増えるかで作品の完成形が違ってくる。

投稿: せーこ | 2016年6月28日 (火) 10時33分

擬人法は、やはり手垢がたっぷりついていると考えられます。
比喩も似たようなところがありますね。
少女らが◯◯っぽいなーと言っているような感じがする句によく出会います。
なにがしかの自分自身の発明とまではいわないけらど、オリジナリティが必要な部分でしょう。

せーこさんが言う通り、俗っぽさが一番危険な気がしたすね。
その一番手が「している」を「してる」と表記すること。
俳句界では5文字にそろえるために、たくさん使われていますが、ここに俗っぽさを感じてしまいます。
僕個人の感想ですが。

ですから、ぼんさんにも「朝ごはん」と「朝食」の違いをわかってほしいと思います。

極端に言えば、朝を読み込めれば鯵の句は出来上がることにも気づいて欲しいです。

ひと塩の干物が並ぶ朝七月

ひと塩の鯵焼いている朝の卓

とかですが。
情報はたくさん入れることができます、

原句は写真入りメニュー。
朝のひとや七月などの明るさやいろんなものが複合的に飛び込むようにできれば大丈夫です。

また、その点をこの欄で読み取ってもらいたいと思います。
口すっぱいけど。
あは!

投稿: そらん | 2016年6月28日 (火) 12時46分

そらんさん、今日は大雨の予報です。
これまでの雨で地盤が緩んでいて、山間部では地すべりの危険性をふまえ、自主避難を考えておられる方がおられるのだとついさっき、社会福祉協議会の職員さんから聞きました。
広川町はもうすでに雨脚がひどくなってきて、ボラセンの窓から見る限り、東部の山々が激しい雨で見えません。東部に激しい雨が降ると広川下流ではすぐ浸水してしまう地域があるので、それもまた気がかりです。

今日はいちにちボラセン勤務ですが、この雨脚ではお客様は皆無でしょう。じっくり、そらんフィールドを詠ませていただこうと思います。(ええ、仕事中の内職っちゅうやつです。笑)

投稿: せーこ | 2016年6月29日 (水) 09時40分

≫漆黒の闇を飛び交う蛍火のわが身焦がして火の花となる

これは町の短歌会に提出された、まだ新人会員さんの作品です。
初心者が陥りやすい問題点がいくつかあるので、失礼ながらここにひかせていただきました。

まず、「漆黒の闇」が気になります。
既成語のお手本みたいな言葉ですね。漆黒の闇も同じもの。
「わが身を焦がす」も、立派な既成語です。
その上、わが身を焦がすのがホタルですから、この作品は擬人法が使われています。
まさしく、これでもか、これでもか、というイメージの作品。
既成語を使うと短歌らしくなるのだとお考えなのかも知れません。
むつかしいとは思いますが、やはり独自の表現をどこかに入れないと読者を魅了するものがない短歌になってしまうと思います。
同じ使い古されたものであっても、たとえば、漆黒をぬばたまに替えるだけで印象が違います。わが身を焦がすは、つまりは、短い命を削りつつ輝いているということでしょうから、光る瞬間のせつなさをほかの表現に代えることも可能でしょう。

→ぬばたまの闇を飛び交うほたる火の一夜かぎりの火の花となる

この分野の歌はわたしのいちばん苦手とするところですから、まともな添削は出来かねますが、声高さはいくぶん減らせるかなと思います。

いきなり、短歌をもってきましたが、既成語の乱用と擬人化の危うさを再確認したくて、ひきました。

投稿: せーこ | 2016年6月29日 (水) 10時11分

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2016年6月24日 (金)

そらんさんの俳句指南NO2

わ!持ち上げてもらって、しばらくここをお借りして、続けてまいります。

せーこさんの句。

庭にある水瓶、蜘蛛の囲、夏日光

これは、俗にいう三段切れで焦点が定まらず、俳句の世界では嫌われます。
つまり、点をとって「と」をいれることになりますから、並列に並んだわけで、どこに主眼を置いて読めばいいのかわかりません。
あわせて、蜘蛛の囲と夏日光は季重なりですね。

水瓶の蜘蛛の囲にさす日の光

でいいのでしょう。
ここから推敲を重ねることになります。

からっぽの水瓶蜘蛛の囲に朝日

とか。

水瓶と蜘蛛の囲の取り合わせていけそうです。日光は特に影響なさそう。
この場合、水瓶を見せたいのだから、特に庭を出す必要もなさそう。

蜘蛛の囲の水瓶からくる田植唄

みたいなこともできそうです。

投稿: そらん | 2016年6月21日 (火) 17時35分

ぷくぷくと太りやがって夏の雲   

これもせーこさんの。
ひとこと。

夏の雲はこんなものでしょ?
入道雲なのね。
それ以上何がありましょう。
季語の説明ですね。

投稿: そらん | 2016年6月21日 (火) 17時39分

そらんさん。
今度はせーこ作品鑑賞ですね。ありがたし。

≫庭にある水瓶、蜘蛛の囲、夏日光
これはまさに「ベタベタ句」です。
庭先の情景をそのまま羅列した。
並列の句として、連句ではけっこう見かける手法だと思ってたけど、俳句界では御法度なわけね。

≫これは、俗にいう三段切れで焦点が定まらず、俳句の世界では嫌われます
正直なところ、これは知らなかった。新しい知識です。
さんきゅー。

二句目。
≫ぷくぷくと太りやがって夏の雲

これ、自信作やったとに。笑
ぷくぷく太りやがったのは、作者自身と夏の雲。
両方にかけてみたのでしたが、読者には伝わりませんでしたねえ。

時間があるときでけっこうよ。
また、拙句へのご指南、お待ち申し上げております。

投稿: せーこ | 2016年6月21日 (火) 20時32分

俗にあれとあれをかけてというかたちはテレビなどでよく取り上げられてますが、俳句の世界では、季語が近すぎてよくないと言われます。
作者自ら俳句の世界を縮めてしまいます。
面白くないんですね。きっと。
俳句は短歌と違い、割と客観性も求められることが多いのもあります。
その客観性の目で見るので、自分が太ったとは読めないのがひとつ。

こういう時は、表現を少し抑えることも大事ですね。
そして、主語を明確にしたほうがいいです。

ぷくぷくと私は太る夏の雲

で、夏の雲をいろんな季語に置き換えてみてください。
面白い出会いがあると思いますよ。

投稿: そらん | 2016年6月22日 (水) 01時05分

あ、ひとこと。
ウケを狙わなくていいですよ。笑。
普通に普通に。

投稿: そらん | 2016年6月22日 (水) 01時10分

ぼんさんの

編み笠の船頭の声水面揺る

これはもともと下五が「ほがらかに」だったと思います。
こういう書き方は、読者に押し付けてしまい、読者が俳句を楽しもうとする空間を奪ってしまいます。
なので、ヒントとして「風となる」などにしてみてはと提案したところです。
ぼんさんは推敲して「水面揺る」としました。
見た目、川下りの船頭の舟を表現しているようですが、結果、周りの景色を詠みこめていないことに気づいて欲しいと思います。

編み笠の船頭の声風となる

この風は実際に吹いているかどうかは別ですが、俳句にはこういう曖昧な部分も必要でそこに余韻を生まれることもありますよ。

次に編み笠ですが、これは季語として見つけたお手柄はありますが、広がりの起こりえない季語の使い方になっています。
船頭が主人公ですから特に船頭の要望を説明する必要はないでしょう。
川下りの船頭なら編み笠を思い浮かべる人は多いと思います。

この船頭は、僕らなら柳川の船頭だし、倉敷が好きな人は倉敷かも。
矢切の渡しかもしれないし、霞ヶ浦かも。
いろんな船頭さんを読者は思い浮かべます。
となれば、編み笠で限定する必要はないと思います。

かわりにもっと世界を広げましょう。

風となる船頭の歌花えんじゅ
風となる船頭の唄合歓の花

景色が一気に大きくなりますね。
季語の華が船頭の唄の雰囲気を醸し出しているように思いませんか?

駆け足ですみません。
こういう目線が俳句の基本になりますね。

そして、船頭と花えんじゅの取り合わせ、ここに面白みを感じるのが俳諧なのだと思いますよ。

投稿: そらん | 2016年6月22日 (水) 01時33分

 ≫編み笠の船頭の声水面揺る
  ↓
 編み笠の船頭の声風となる
  ↓
 風となる船頭の歌花えんじゅ
  ↓
 風となる船頭の唄合歓の花

この推移はとても興味深いです。
作者のぼんの懐を借りて、ここでおさらいさせてもらうね。
「水面揺る」が風となったことで視野が広がりました。
「船頭の声」が「船頭の歌」となったことで、風に乗る歌声が読み手に届きます。
「編み笠」が消えて、初句に風となるが来たことで、スケールが大きくなるとともに、背景、たとえば、川の向こう(ごめん、わたしは柳川ではなく、球磨川みたいなおおらかなスケールの川をイメージしたので)に、緑なすやまなみが見えました。

そして、結句になにをもってくるかでイメージがかわることも「これで実感できたと思います。
華やかな「ハナエンジュ」なら、明るい陽射しがイメージできます。質素な「合歓の花」であれば、堅実な印象のおだやかな陽射しをイメージしました。
もちろん、このイメージには個々の相違が大きく作用して、変化に富むでしょう。でも、その変化がむしろ楽しい。

俳句が客観性を重要視するのと反して、短歌は主観を重要視します。
主語が明記していなければ、作品の主役はあくまでも作者自身だと読み取ります。それが基本ルール。
おなじ短詩系文学でもこんなに違う。

さらには、「午後」という時間設定用語に対する評価も違う。
短歌ではたぶん、午後という時間設定は安易すぎるという意見が殺到すると思う。「夕暮れ」の多用と同じように注意喚起が求められる用語のひとつと解釈されるところでしょう。

こうやって比較すると、おもしろいわねえ。
同じ省略の文学なんだけど、省略すべき量がたった14文字しか違わないのに、省略の困難性はあきらか。たった14文字じゃないね。短歌は14文字も使うことができる。だから便利、でも、だからこわいとも言えます。

投稿: せーこ | 2016年6月22日 (水) 09時59分

もひとつ。

ウケを狙う。
この哀しい習性、ようわかったね。笑
文章を書くにしても、短歌をつくるにしても、どうもこの習性が大きく作用していると思います。生来の気質やん。サービス精神に富んでるけん。笑

投稿: せーこ | 2016年6月22日 (水) 10時03分

14文字の違いは、歌人と俳人の間に大きいと思う。
もちろん両建てでやってる天才も多いけど。
歌人は俳句しながら、まだ書けばもっとよくなるのになどと思う。
俳人は、残る14文字で何を語れというのかと思う。
お互いその文字数の中で生きてきてるからね。
仕方ない。

ところで、ぼんさんの編み笠の続きです。
編み笠は季語としてはなかなか広がりを持たない言葉ですね。
昔は笠を編むところとかも含めて日常にあったものなのに、観光用とかでしか見ないものになっています。
そういう意味では季節感も薄いので、なかなか現代人にしっくりこないものでもあります。
とくに30代以下などは。

季語として使おうとしたらどうするか。
当たり前のひとがかぶらない面白さを狙う。

編み笠をかぶり外科医のゆく真昼

誰が被っているかは描かず、編み笠を主人公にする

酒蔵の路地を編み笠ゆく日暮れ

もちろん、意外な場所にあるほうがミステリアスさを醸し出すかもしれない。

船頭の編み笠は当たり前すぎて、季語として働かずに単なるものになってしまっていたのですが、こういった使われかたをすると少し編み笠がイメージを膨らませてくれるんではないかと思います。
是非、参考に。
ただし、さっきも言ったように、こういったものにまつわる季語は、同様なことが起こりえます。
季語を探すなら、誰でも知っている季語、気象や植物、動物の個性を理解しながら作っていくことが最初は大事です。

投稿: そらん | 2016年6月22日 (水) 12時37分

セーコさんの句です。

諳んじる歌も持たずに梅雨に入る 

これがいいです。
何か満たされないものが見えてきます。
タイムリミットがやってきた感じが梅雨に乗っかって一つの形ができているようです。

ただひとつ考えてみたいのが「も」の使い方です。
中心に起きたいものが歌ですが、歌もとするとテーマがぼやけてしまう感があります。

諳んじる歌を持てずに梅雨に入る 

このほうが唄に目線がいき、入梅が生きてくると思います。

さて、この区を使って考えたいのが、俳句の切れについてです。
連句では切れ字を使う場所がほとんどないのですが、俳句ではかなり重要です。
ぼんさんもせーこさんも、この点を理解できていないのかもしれないと思っています。

入梅や諳んじる歌持てぬまま
梅雨に入る諳んじる歌持てぬまま
やがて梅雨諳んじる歌持てぬまま

上五に切れを用意しました。
ややかな、けりといった切れ字を使う。
体言止め。
名詞止め。

切れを使うことによる効果は、感嘆を強くしたり、読み手に一拍置いて俳句にゆとりを持たせるといった効果の他に、ふたつの世界の距離を置き、俳句の世界を広げる効果があります。

つまり、上五の梅雨と中七以降は本来別々の事象。
歌をそらんじることができない
ことと
世間は入梅。
というふたつの世界をつないでいるわけです。
原句の場合は、入梅までを口の中に一緒に取り込んでいて一句一章。一句はひとつの話でできているのですね。
切れ字を入れたことで、二句一章という形になります。本来ならふたつの話をひとつにつなげたことによるふたつのものがぶつかり合って思わぬ効果を生む。これを二物衝撃とよく言われる切れ字の効果でしょう。

前述の船頭の推敲も最後はこの切れを生み出していますので、そこの点を考えてみましょう。

投稿: そらん | 2016年6月24日 (金) 01時04分

誤字脱字が多くて読みづらいかもしれません。お許しを。
おやすみなさい。

投稿: そらん | 2016年6月24日 (金) 01時06分

こうやって推敲を重ねるうちに、やっと自分の句を客観視してみることができるようになりました。

ありがとうございます。

一連の指導を受けてもなお、句に変化が付いたか疑問ですが、気を入れて、推敲していきます。

投稿: ぼん | 2016年6月24日 (金) 08時38分

そらんさん、わたしのつたない句に時間を割いてくれてありがとう。
こうやって、文字にしてくださることで、前回の学習会で口語で教えてもらうときより、ずっと明確に身につくように思います。口から出た言葉では、書き留めない限り、どんどん、霧散してしまうから、多くのことを聞き洩らしてしまうことになると思いました。
ネットで句会。じゃなくて、句のレクチャー会。
それも、なかやまそらんの個人レッスン。
受講料、ただでいい??笑

冗談はさておき。
≫ただひとつ考えてみたいのが「も」の使い方です。
中心に起きたいものが歌ですが、歌もとするとテーマがぼやけてしまう感があります

これは短歌でもまったく同じです。
ゴロがいいとか、すわりがいいとか、そんな感じで安易に使ってしまいがちな「も」ですが、実は、「取り扱い注意」ですね。
それに「も」だけでなく、例えば「われが」「われは」「われの」という風に助詞になにをもってくるかで、作品の持つイメージが大きく変わります。むつかしいけれども、これは14音多い短歌ならではの醍醐味かもしれない。

≫上五に切れを用意しました。
ややかな、けりといった切れ字を使う。
体言止め。
名詞止め。

おっしゃるとおり。
連句では発句にしか切れ字は使えません。
だから、ほとんど使ったことがない。
~~や。~~かな。~~けり。
わたしの中で切れ字のイメージはこの三つでした。

≫入梅や諳んじる歌持てぬまま
梅雨に入る諳んじる歌持てぬまま
やがて梅雨諳んじる歌持てぬまま

一気に俳句らしい俳句になりましたね。
わたしが新聞の俳壇などで「いいなあ」と思う句です。
つまり、無意識のうちに「二句一章」の文体に惹かれていたということでしょう。

そらんさんのレクチャーによれば、つまり、
 風となる船頭の歌花えんじゅ
これも、二句一章になるわけですね。
上句で表現してきたことと直接関係がないことを結句に添える。
短歌でもよくみられる手法です。余談ですが、この手法をやまなみ短歌会では「諫早方式」と呼びます。いえ、短歌界全体に通用する呼び名ではありません。やまなみ歌人のみに通用する手法名。笑

二物衝撃。
深くて、いいことばだ。
今度、作品評を書かねばならぬときが来たら、使わせていただこうっと。

投稿: せーこ | 2016年6月24日 (金) 10時15分

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2016年6月21日 (火)

コメントから 俳句指南

俳句指南BY中山宙虫

そらんさん。句集の上梓、おめでとうございます。
いい句集ができましたね。
若々しさを感じました。
装丁には作者らしさが如実に出ると思います。
だから、歌集にしても、句集にしても、表紙、背表紙、花布を眺めるのが大好き。

句もこれからいくつか引かせていただきたいと思っています。
ただ、哀しいかな、鑑賞はしきらんのよねえ。

投稿: seiko | 2016年6月17日 (金) 19時44分

本の装丁はもちろん装丁家の力ですが。
基本的に僕のイメージ通りに作ってくれました。
すごいよ。
装丁家って。
みんなが本に戻って彼らの力が出せる場が増えるといいんですが。
今度会ったらハグしたいくらいです。
女性ですが。

投稿: そらん | 2016年6月18日 (土) 00時01分

そらんさん、今日は遠くからお出でくださって、ありがとう。
お疲れ様でした。

装丁家さんの力って、大きいんですね。
改めて見直したら、表紙の折り返しに、ありました、ありました。
あのバッタのイラストの作者の名前が。
あのバッタ、そらんさんが書いたイラストだったのね。
思い入れがますます伝わる話でした。

投稿: せーこ | 2016年6月18日 (土) 23時15分

せーこさん、そらんさん

この場をお借りして、お礼を言います。
お忙しい中、本当にありがとうございました。

たくさんことばをいただきましたが、どれだけ身についたかはわかりません。
 夜、さっそく句を見直してみましたが、なかなかどうして、世界が広がっていきません。こんなに力がないのかと、落ち込んでおります。

お借りした本を読んで、いくらかでも身に付けるよう、じっくり読みたいと思います。
古墳公園とかに行って、散策もありかなと思っているところです。

投稿: ぼん | 2016年6月19日 (日) 07時51分

お二人とも。
ありがとうございました。
ある意味、楽しかったです。

せーこさん、あのバッタは線が難しかった。
うまく表紙におさまるか心配でしたが、さすがでした。

ぼんさん、いきなり詰め込んだ話で申し訳なかったです。
今までのぼんさんの俳句観をごっそり変えてしまうかもと思いながら話をさせてもらいました。
どこかに出かけることも必要かもしれないですが、日常の通勤や家庭のなかとか周りのこととかごまんと素材はあります。

また、来月、話ができたらいいですね。

投稿: そらん | 2016年6月20日 (月) 00時07分

≫夜、さっそく句を見直してみましたが、なかなかどうして、世界が広がっていきません。こんなに力がないのかと、落ち込んでおります

ぼん、落ち込む必要はないと思うよ。
そらんさんの話を聞いて、連句と俳句の違い、連句と短歌の違いを強く感じました。個個が独立した作品であらねばならぬものと、行間、あるいは付句の醍醐味を味わうべきものの違いということです。歌仙で巻いた作品は共同作業の成果ですが、短歌や俳句はひとりの作品です。
例えば、連句には式目がありますよね。
全体の流れがある。
捌き手はよりよい作品にするために「疎句」「平句」を求めることがあります。いわゆる人情句ではない「感情のない」「個性の強すぎない」句です。それがあることで、ほかの句が引き立つ。連句では不可欠の、ある意味重要な役割をする「疎句」ですが、単独した「俳句」として鑑賞するときそれが「優れた句」とは言いがたい。
そらんさんが「連句で俳句をつくってきたひとが陥りやすい欠点」というのはまさにそのことだと思いました。

もうひとつ身に染みてわたしが感じたのはそらんさんの「べたべたとはりつけた句」という表現です。
わたしは短歌を長年やっていますが、短歌の原点は「写生」であり「写実」と言われています。わたしがなぜ「写生」「写実」が苦手なのか。「写生」とは事実を詠むものという概念が強すぎてわたしの「写生の歌」はそれこそ「べたべたと事実を張り付け、個性も市場もなにもない作品」になってしまう。そのことを自分がいちばんわかっているからです。
写実に加える「自分らしさ」「個性」「独特の表現」がなければならない。頭ではわかっているつもりだけど、これが、ほんとむつかしい。
いま、ぼんが挑戦しようとしているのは、まさにこの部分。
むつかしくてあたりまえ。
落ち込むことなく、いっしょに模索しましょう。
わたしも負けないようぐわんばります。
いつか、そらんさんに「まいった」と言わせましょうね。笑

投稿: せーこ | 2016年6月20日 (月) 08時32分

せいちゃん、ありがと。

今必至で、今月の選句をやっています。
選んだもので、また評価される。試金石、踏み絵?でしょうか。笑
きちんと句を評価する。難しい。

投稿: ぼん | 2016年6月20日 (月) 08時41分

ぼんさんの作った句。

窓枠を額縁にしてかきつばた

この句をベタベタ貼った句と言いました。
構成が平面のものです。

本当はもっと見えるものかあるはずです。
どこの窓か書き込みましょう。

家庭科室の窓が額縁かきつばた

こうすると人間や建物がこの句に登場してきます。
これだけで膨らみが出てくるのです。

ただし、かきつばたは地面に生えているもの。
座って部屋の窓から見えるかどうか最初から疑問があります。

家庭科室としましたが、額縁になるような窓ではないかもしれません。

試しにいろんな部屋の窓、いろいろ見えるものを変えて見てください。
それぞれの句が違ってみえるばずです。
ここを理解して欲しいなと思います。

例えば、

会議室の窓が額縁夏の雲

四角い窓で会議中、外にはどっしりと入道雲。たぶん何人かはその雲を見ているのでしょう。
いろいろ考えながら。

空の関係する季語や夏の花木などが実際は窓から見えるものとしていいと思います。

投稿: そらん | 2016年6月20日 (月) 11時51分

ここでもうひとつ考えてもらいたいこと。

会議室の窓が額縁夏の雲

まず、会議室の空気感が夏の雲があることから少し見えています。
怠惰な会議ではなさそうです。

かきつばたではこういう空気感が生まれにくい。季語を理解して、句の持つ世界をいかに膨らませるかです。

そこが理解できると、たぶん額縁などとした比喩は必要ないでしょう。

会議室の窓から午後の夏の雲

時間を入れてみました。
さっきの盛り上がりとは違う空気感がうまれます。
朝の夏の雲ではなく午後の夏の雲。
夕立が来るかもしれないなどと考えます。

投稿: そらん | 2016年6月20日 (月) 12時28分

確か、ぼんさんはかきつばたを活けたと言っていたようにも思います。
その場合は、かきつばたのある場所やいけたということを明確にしないとかきつばたと書くだけでは地植えのものとしか読む側は理解しないと思います。

かきつばたいけて窓から望む街
雨のきて理科室にあるかきつばた

みたいなことです。
考えるに額縁は必要なさそう。
額縁は単に窓を説明する道具にしかなっていないことがわかるし、俳句の世界を狭くしてしまっています。
ひとつひとつの単語の意味や空気を最大限生かすことですね。

投稿: そらん | 2016年6月20日 (月) 17時00分

この考え方が短歌につながるかどうかはわかりませんが、会議室の句を短歌にしてみると。

会議室の窓から見える夏の雲スケジュール帳の土日が赤い

みたいなことでしょうか?
77の部分をいかに575の中に見せることができるかということでもあるかな?
ひとつの考え方として。

投稿: そらん | 2016年6月20日 (月) 17時14分

そらんさん、たくさんの意見をありがとう。
今日は所用があって、一日中博多まで出かけておりました。
一つの句をこうやって、推敲して貰うって、とても参考になると思います。詳しくは、まて、後ほど書き込みますね。

投稿: せーこ | 2016年6月20日 (月) 18時54分



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2016年6月16日 (木)

祝!中山宙虫初句集「虫図鑑」上梓

熊本在住の俳人「中山宙虫(そらん)」氏の初めての句集がこの春、ちょうど、氏の退任と同時期に上梓されたことを連句仲間のひとりとして喜ばしく思う。
いち早くこの場で紹介したいと思ってた矢先に熊本大地震が発生し、とうとう今日まで紹介する機会を失っていた。

句集名は「虫図鑑」という。
宙虫氏らしい句集名である。

Img_2538

初夏のくさむらを連想させるまみどりの表紙には、銀色の飛蝗が添えられている。
まみどりのカバーをとると渋いグレーの表紙にこげ茶色の背表紙、そして背表紙と同じ色合いの花布へと続く。
鮮やかなまみどりのカバーと対照的な、抑え気味の色調の表紙。
そこに、作者のこだわりが見てとれる。
その渋い色合いの表紙にも、
ほら、やはり飛蝗が控えている。

Img_2548

虫つながりの飛蝗が案内役。
こだわりのそらんさんらしいなあ。
こだわりといえば、この句集は、いまではとんと見かけなくなった活版印刷屋さんの技術によって、編成されているそうだ。活字をひと文字ひと文字拾い上げて編む句集。この点こそ、この句集最大のこだわりといえるだろう。

Img_2550


句集は、蝉の章、とんぼの章、蟻の章、むかでの章、蛍の章、きちきちばったの章に区切られている。
ああ、そうか。
案内役のこいつは、きちきち飛蝗なんだね。

さて、今日は句集の体裁を中心に紹介し、作品はこれからおいおいアップさせていただこう。最後に、案内役を担ったきちきちばったの句を紹介しておきたい。

 色落ちのジーンズきちきちばった飛ぶ/中山宙虫

そらんさん。
これからも、そらんさんらしい作品を期待しています。
初句集の上梓、ほんとうにおめでとう!

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2015年4月21日 (火)

はざくらの

はざくらの木陰にやすむ労働者/セイコ

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その橋にはこじゃれた名前がついた。
「はなやぎ線」というんだそうな。
町の図書館の建つ岸辺と、
ボランティアセンターのある保健福祉センター(別名はなやぎの里)の建つ岸辺を結ぶ歩道橋には、行政のそれもドボクヤさんがつけたにしてはこじゃれた名前がついた。
竣工予定はこの冬。

連日、この作業場には4,5名の作業員さんが立ち働く。
ときおり、大型重機を運んだあとの荷台で円座になって弁当を食べる数名の作業員さんや、
葉桜の下で寝転がる作業員さんを見かけた。

これから陽ざしがどんどん強まる季節。
葉を繁らせるさくら一樹が、
作業員さんがたのオアシスでありますように。

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2014年1月 4日 (土)

新年句会もどき

寒いけどハエがうろうろじゃまなやつ

お正月ボクがつくったぞうにもち

元日にもどしてボクはやせちゃった

元旦に山崎邦正たたかれる

ガッテムとさけんでビンタほうせいを

  以上、おかのそういちろう作

大みそか夜更かししてでもそばを食う

餅つきで幼稚園児がこねたモチ雑煮に入れたらトロミがついた

お雑煮を食べてびっくり大当たりモチの中から粉がたくさん

冬休み楽しいことをやりすぎてふと思い出す残りの宿題

三が日子守任され疲れ果て睡眠薬を飲んだごと寝る

 以上、おかのさわ作

元旦のハエをぴしりと打ちにけり

新年やしうとめゆるり惚け増せり

つごもりの夢は果てたり外れ籤

以上、やましたせいこ作

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2012年11月28日 (水)

初霜や

 初霜や東はんぶん溶けかかる/せいこ

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今朝、今季初めての霜が降りた。
風がないぶん、体感温度はそう低く感じないが、今朝の室温、六度。
冬が来たことを実感した朝だった。

ひこまるのマーキング散歩に出たら、道端の雑草に降りた霜が東半分だけ溶けかかっていた。おひさまのちからって偉大。冬になるたび、太陽の、そのエネルギーにひれ伏したい気持ちになるのだ。

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2012年7月10日 (火)

ためいきをつくコーヒー

 コーヒーがため息ついてる暑くって 
          /おかのそーいちろー

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2012年7月 3日 (火)

課題句から

課題「格」

 鳥獣も人も同格春の山      林  照代

 泥んこの資格免状春の風    矢吹 一幸

 冬野菜格外品も良く売れて    井上 白光

 朝東風や高みに干さる格闘着   梶原マサ子

 被災地に合格通知暖かし     藤崎由希子

 人格と品位の間の朧かな     若林 常雄

 骨格の見えぬ国会囀れり     依田しず子

 れんげ草蜂の性格丸くする    東妙寺らん

  ・・・・・・・・・・樹の会俳句通信「樹(たちき)」(瀧春樹主宰)
                   2012年5月号から抜粋しました。

 

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2011年12月 4日 (日)

由緒ただしき百姓家

  冬の日の由緒ただしき百姓家/セイコ

・・・・・・・・・・・

連句仲間の呆夢さんがよこしてくれたコメントで一句得た。笑

この由緒ただしい百姓家は、わが屋の小屋のこと。

二十数年前に母屋を建て替えた際に
座敷や仏間は取り壊されてしまったけれど、
昔は厨だったという陽の射さない古い土間も、
舅の伯父一家が住んでいたという一角も、
小さな覗き窓のある馬小屋も、
そのまま残されている築百三十年の小屋。

この小屋を受け継ぐにはひと覚悟必要。
重くて、重くて。
ある意味、ばっちゃまより重たい。

 ついでにもう一句。
   陽のささぬ厨に残る土鍋かな/セイコ

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