2017年10月 6日 (金)

介護日記最終章・・・懺悔をこめて

二週間ほど前に、連れ合いの弟嫁から電話をもらった。
弟嫁は、わたしよりひとつ年上だが、いまだ現役の看護師として近くの小児科で働いている。
結婚当初は他人行儀に「おねえさん」と呼ばれていたが、年齢が近いこともあって(たぶん、親しみもこめて)いまは「せーこさん」と呼ばれている。

以下、義妹のことば。
「お姑さんの一周忌も終わり、初盆も終わったので、わたしたち夫婦で、せーこさんを旅行に連れていきたいと思うから、近々、土曜日曜を空けてくれない?これまで、ずっとせーこさんに申し訳なく思ってたの。お舅さんもお姑さんもほとんどせーこさんひとりで介護してくれて、ほんとうにありがとう。ほんとうにお疲れ様でした。大したことはできないけれど、わたしたちの感謝の気持ちを受け取って」

思えば、ずっとこの人はこんなひとだった。
帰省するとき、エプロンを忘れたことがなく、洗い物はすべてひとりで請け負ってくれていた。出しゃばることもなく、いつだって長男の嫁であるわたしの顔をたててもくれていた。

それなのに、わたしは両親の介護中、義弟夫婦のことを一方的に疎んでいた。「わたしがこんなに苦労しているのに、半年も連絡をよこさない」とすねたこともあった。大変であるのなら「SOS]を出せばいいのに、それもせず、「被害者意識丸出しの長男の嫁」になっていた。
つくづく未熟であった自分が恥ずかしい。

「不実な嫁の介護日記」を書くことはもうないと思う。
これがたぶん、最終章。
だから、最後の介護日記に懺悔の気持ちを込めて書く。
介護はひとりではできない。困ったことがあったら意地を張らず、だれかに助けを求めよう。困っていると声をあげよう。
助けてと声をあげるひとを簡単に見捨てるようなひとは、そう多くはない。
この世のなか、そんなに悪くはない。
そう信じたい。

 今日の一首。
  わたくしもまだ成長のさなかなり 秋がふかまるやうに深めよ

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2016年11月23日 (水)

地域還元。

今朝のこと。
このところ予定が立て込んで、すっかりご無沙汰だった畑仕事に出かけた。しばらく作業に没頭していたら、通りから、声をかけるひとが。
ご近所のMさんだった。
Mさんは、同年代で、嫁いだ時期もいっしょ、子ども達も同年代とあって、長年親しくさせていただいている。今で言うところの「ママ友」として、一年に数回、食事に出かける間柄だ。

話がしたそうだったので、作業の手を止め、通りで立ち話。
同居中のお姑さんが最近、言動がおかしくて、Mさんについてまわられるらしく、精神的にきつくてしかたがないとおっしゃった。だれにも愚痴をこぼせず、「もし、あなたがここにいたら話を聞いてほしいと思ってきた」とおっしゃる。
お姑さんの言動がおかしくなられて三か月。
Mさんの話を聞きながら、「ああ、いちばんきついころやなあ」と思う。わたしも姑の言動がおかしくなってから一年がほんとしんどかったもの。「いまが、いちばんしんどいね」と声をかけたらMさんの目からぽろりと涙がこぼれた。

介護の経験者としてこうやってだれかの話を聞くこと。
はなしを聞いて、共感を示すこと。
わたしにできることはそのくらいのことなんだけども。
それが、姑を見送り、介護から解放されたわたしがこれからやるべきことなのかもしれないなあ。
介護経験の地域還元とでも呼びますか。

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2016年7月20日 (水)

梅雨明けて

  梅雨明けて友は介護の荷を下ろす  文子

 この句は、姑の通夜に列席してくれた高校時代の友人の句である。このところテレビも新聞も見ていなかったので、わたしは知らずにいたが、姑の本通夜が行われた日に北部九州の梅雨明け宣言がなされたそうだ。
「通夜席でふっと浮かんだのよ」と友人が耳元で言葉にしてくれた。

急性肺炎による呼吸不全で姑が亡くなった。
「なんとか危機は脱しました。99パーセント駄目かと思っていたが、よく切り抜けたなあ」と主治医がおっしゃった日の、翌日のことだった。知らせを受けて駆け付けたわたしたちに、「ろうそくの火がふっと消えるように息が途切れた」と看護師さんが報告してくださった。
享年、87歳。昨日、葬儀を終えた。

78歳で認知症を発症。数年間の自宅介護を経て、晩年はグループホームに3年半、特養ホームに8か月、療養型医療機関に18日間お世話になった。宿敵「長男のよめ、せーこさん」を認知できなくなって6日後の旅立ちであった。

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47歳という若さで、孫守りを請け負ってくれた姑。
わたしたち夫婦が安心して働き続けられたのも、三人のこどもたちがさみしい思いをせずに子供時代を過ごせたのも、長男の嫁であるわたしの「仕事を続ける選択」を支持してくれた両親のおかげである。
ありがとう。おかあさん。
そして、ほんとうにおつかれさまでした。
やすらかにお眠りください。

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2016年6月24日 (金)

迫られる選択

このひと月、姑の食欲が不安定で、一日に三匙しか食べない日があったり、食べても戻したり、回復して八割を食べてくれたりと非常にばらつきがある日が続いている。
あんなに食べ物に執着していた姑だが、認知症が進み、食べることへの意欲を失っているのだと嘱託医のN先生から説明を受けた。

姑が入所しているのは、看取り施設ではなく「特別養護老人ホーム」。昨年の10月にグループホームから移ってきた。一週間に二日、嘱託医の先生が診察をしてくださり、施設では点滴という医療行為ができないため、食事がとれない日が続くと施設の看護師さんがこの嘱託医のN先生の所へ点滴を受けさせるために連れていってくださってる。

今回、N先生から、今後の選択肢について家族で話し合う時期にきているのだと説明を受けた。
1、口からの栄養分が接種できないのであれば、胃瘻の手術をして、これまでの施設に継続して入所する。ただし、現段階の体力で胃瘻のオペに耐えうるかはぎりぎりのところ。
2、いまの施設を出て、医療行為のできる、療養型医療機関(いわゆる看取りのできる病院)へ変わる。

今週末、義弟夫婦が来宅予定だ。
もちろん、結果を出すのは、姑のこどもである夫と義弟なのだが、この嫁、とても悩ましい。歩行はできないとはいえ、まだ、意識もはっきりしているばっちゃまをこのまま看取りの病院へやっていいのだろうか、と。

この時期に、ここに書くべきか迷うところだが、亡くなった実家の母が生前、わたしに見せてくれたノートに書いてあった一文を思い出した。母のそのノートには、母の文字で、「無用な延命治療は望まない」ことが明記されていたが、そのあとにこう書かれていた。
「口から食べることができなくなっても胃瘻の手術はしないでください。過分な点滴もいりません」

母はつねづね言っていた。
「口から食べられなくなったら、人間生きてるとは言えんと思う。わたしがそげんなったら、無理に食べさせんで。枯れ木がぽきっと折れるごとして逝きたか」と。

姑が元気なうちに、なぜこんな話を姑としてこなかったのかと、いま、不実な嫁は悔やむばかりである。

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2016年6月10日 (金)

ばっちゃまの近況報告

久々に介護日記です。
昨年二月の「急性硬膜下出血」による緊急オペ以来、歩行困難となっていた姑ですが、完全に歩けなくなってしまいました。人間にとって、歩行ができるということがいかに大切なことであったのか、いましみじみと痛感しています。

歩行ができなくなった姑はとたんに認知症が進みました。
まず笑顔がない。
家に帰りたいと言わなくなった。
食べ物への執着がなくなった。
連れ合いや、嫁であるわたしのことは認識していますが、訪問してもこれまでのようには喜んでくれません。

食べ物に執着しなくなったから食欲がわかない。
だから痩せる。
痩せて義歯が合わなくなった。
だから口内炎ができてますます食べることができなくなった。
ミキサー食すら飲み込めない。
ストローで水分を補給することができない。
ないない、ないない、できないことばかり。
悪循環の日々。

ここ数日、とても暑い日が続きます。
なのに、水分補給ができなくて施設から、脱水症になるのではないかと案じていると連絡がありました。一昨日は長女とふたりで出向き、赤ん坊をあやすようにして、ティースプーンに4杯程度をやっと飲ませてきました。
そして今日。スタッフさんに内緒でバナナをすりつぶしたものを持参して姑を訪ねたのですが、ばっちゃま、今日は朝ごはんも昼ご飯も完食したんですって。
とりあえず、今日は一安心。

ひとまわり以上、ちいさくなってしまったばっちゃまは、大声も出さず、しずかに眠るばかり。なんか、さみしい。
前のような手ごわいばっちゃまにもどってくれんかなあ・・・。

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2015年8月17日 (月)

やがて来る、老いの日のため

二月に急性硬膜下出血による緊急手術をして以来、姑は車椅子での生活となった。
術後の経過は良くて、身体の麻痺など後遺症はないのだが、筋力が落ちてしまって、歩行はまったくできない。トイレも着脱衣も全介護状態となってしまった。
それどころか、車椅子にまっすぐ座っておくことができない。
体幹を支える筋力が低下してしまったのだ。
それに比例するように、すっかり感情もとぼしくなり笑顔が出ない姑だが、わたしの月二回の訪問日には、「ああ、せーこさんが来た」と笑顔を見せてくれる。

不思議だよねえ。
決して仲良しこよしの嫁姑ではなかったはずなのに、姑の笑顔を見ると、「ああ、おばあちゃんを笑わせるために、また、会いに行かなきゃ」と思ってしまう嫁なのであった。

姑が嫁に教えてくれること。
やがて来る老いの日のため、体幹を支えるための腹筋背筋と、歩くための大腰筋を鍛えておきなさいってことかしら。

今からでも遅くない。
鍛えよ、わが筋力。である。

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2015年4月11日 (土)

ばっちゃま入退院騒動記

久々の介護日記。

昨年夏あたりから、足取りが危なげになっていたばっちゃま、9月には転んで足の骨折。11月から12月にかけては後頭部打撲で、脳神経外科でのレントゲン撮影やMRI撮影と病院通いが続いた。

そして、2月半ば。
施設から電話があって、ばっちゃまが「夕食を食べなかった、それどころか早々に自室へ引き上げ、起こしても起きない」との連絡を受けたたわたしは、即座に救急車の手配をお願いした。救急搬送先での病名は、「急性硬膜下出血」。どうやら、この日、スタッフさんが気づかない場所で転倒したらしい。

2月17日に手術。
そして、昨日、術前の説明にあった「術後の後遺症」もほとんどなく、大きな記憶障害も起こさず、無事に退院した。
病院では看護師さんたちにずいぶん手を煩わせたらしい。
一度、大部屋に移されたが、ひと晩じゅう「腹が減った」と大声を出すので、同室の患者さんからクレームがつき、また観察室に戻された。わたしが行くたびにばっちゃまは「この病院ではわたしに何も食べさせてくれないから、こんなに痩せた」と訴える。あるときは、その訴えが、「あの大きな男(リハビリの職員さん)に押し倒された」になったり。
何か気に入らないことがあると、看護師さんに暴言を吐き、あるときは、スタッフさんをたたいたり、反対に、叩き返さりたりしながらも、なんとか、無事に退院の運びとなった。

三日ごとに洗濯物を取りに行く嫁、いつも身が細る思いだったが、これで、なんとか、ひと安心である。
B病院の看護師さんはじめ、スタッフのみなさま、本当にお世話になりました。ご迷惑もたくさんかけましたが、医療費もたくさん払ったんで、勘弁してくださいね。ほんとに、ありがとうございました。

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2014年10月 9日 (木)

まさに奇跡。

さて、久々に介護日記です。

姑が入所中のグループホームで転び、右足首を骨折、それも、二か所、骨折しました。
転んだのが、先月19日。足首が丸腫れしたため、たぶん、捻挫だろうくらいの軽い気持ちで受診させたのが翌20日。
それから、ばっちゃまはめでたくギブス入りとなりました。ギブス入りしたんだもの、これで少しは落ち着いてくれるだろうと思っていたのですが、おっとどっこい。

かなりの痛みがあるはずだとお医者様はおっしゃるのですが、当の本人は痛みを感じず、安静を命じられても、どこ吹く風でありまして、ギブスのまま自力で立ったり座ったり歩いたり。車いすを使うようにしてもらっても、車いすを押して歩き回る始末。

先月末の二回目の検査ではまだ骨がつながってなくて、このまま安静にできずつながらない場合は手術やむなしとまで言われておりました。ばっちゃま入院は即24時間つきそうことになるわけで、そうなったらどうしようと嫁はひそかに、でも、本気で案じておりました。

三回目のきょうの検査結果。
なんと奇跡的にばっちゃまの骨が接がっておりました。
いや、めでたいっ。
お医者様がおっしゃるには、
「動き回ってたわりには、奇跡的にまっすぐつながってる」のだそうです。
ばっちゃま、よかったねえ。えらかったねえ。
二週間後にもう一度レントゲンを撮るまで、
ばっちゃま、おりこうさんでいてね。

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2014年2月13日 (木)

母、三度目の入院。

実家の母が、今季三度目の入院となった。
肝機能数値は安定していて、体調もずいぶん回復していたのだが、自宅で転倒してあばら骨と恥骨にひびがはいっての入院。
今朝、自宅の廊下で立ち上がることができず、うずくまってるところを、デイサービス利用のため迎えに来てくださった施設のスタッフさんが発見してくださった。家人がだれもいなかったため、救急車を呼んでくださって病院に運ばれた。

私設ホームヘルパーよろしく、わたしはデイサービス利用日以外のほとんど毎日、母のもとを訪れる。やれ洗濯機が故障した、電子レンジが動かない、こたつが温かくならない。見れば、コンセントが抜けたままだったりなわけで。流し台にたまった食器を洗い、掃除機をかけ、洗濯機をまわし、干して帰宅する。この繰り返し。

体調は順調なのだが、このところ精神的に不安定で、母は日々さがしものばかりしている。
前日に掃除機をかけた部屋に物が散乱していて、聞くと「保険証がない」「お財布がない」「ケイタイがない」との理由で探し物ばかりしてるのだ。

やれやれ。いよいよ、母にも来たか。
介護経験の豊富なむすめは心の中でひっそりとため息をつく。

 きょうの二首。
  冷え切った部屋に老い母蹲るけふの探し物はなんなのだろう

  老い母の寒い寒いと何枚も服を重ねてクーラーの部屋

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2014年1月25日 (土)

近況をすこし。

実家の母が退院後、わが家に逗留したのは、大みそかまで。母と入れ替わりに、姑が帰宅し、わが家で正月を迎え、グループホームに戻ったのが、あけて二日。

1月3日に実家の母が体調を壊し、再度、5日から入院し、16日に退院、その後、またわが家へ預かり、22日に自宅へ戻った。

今日から、肺炎のため、姑が入院。
例のごとく入院を拒否。
ホームからの要請を受け、わたしが車に乗せて説得しながら病院へ運び、なんとか入院させることができた。
「よし、これでひと安心」と病院から戻ろうとしたら、
「落ち着くまでつきそってもらえませんか」と、つきそい要請が・・・・。
「セイコさんがいない」と、点滴中でもお構いなく起きて帰ろうとするというのだ。

やれやれ。
なんか年末年始からずっ~と病人といっしょにいる気がしてきた。

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