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2011年9月26日 (月)

葛野から山下影姫?

宇佐を目指した磐井のその後を追いかけていたら、連載進行中の面白いブログ(↓)を見つけました。
このブログ主は秦氏を追いかけていたら磐井を見つけたようです。
なんでも、磐井の乱の後、豊の国の秦一族が忽然と姿を消したのだと。
ところで、出雲大社の拝礼作法は「二礼四拍手一拝」だそうで、四拍手は「死拍手」で霊を封じ込めるのだとか。殺害された神の霊には祟りで災いを起こす力があるので、その霊を静めるために祟りを静める拝礼作法が必要というわけです。
出雲大社の場合、殺害された神とは大国主命。大物なので大きな社殿です。
全国にもうひとつ、「二礼四拍手一拝」を拝礼作法としている大きな社殿があります。
宇佐八幡宮です。
ところが、ここに祀られている神は殺害されたわけではない神功皇后や応神天皇などです。
社殿の大きさから、本来、大国主命に相当するくらいの大物の神の怨霊を静めるために建造されたものであるはず。
磐井が宇佐を目指して姿を消したのは528年。
宇佐八幡宮の本宮が創建されたのは571年。
それはそうとして、今日の西日本新聞の夕刊。
福岡市の古墳から銘文が刻まれた570年製造の鉄製の大刀が出土したと。
この刀で磐井の首を落としたか。

投稿: 乙四郎 | 2011年9月21日 (水) 23時23分

それがあるから、太宰府の観世音寺宝蔵のおおくにぬしのみこと像がきになるんだろうか。
しょぼーんとした像なんです。
なにかをつよくうったえてくる。
機会があればみにいってくれ。

宇佐の今仁が夫の祖の出自。
その隣に横光リーチの父方の故郷。
利一の母方の祖は芭蕉とつながる。

きのうの出土のそのすごいニュース、まだよんでません。
でも、日本にだけ文字がなかったわけではないとわかってよかった。けされたことがたくさんあるということですね。

投稿: かささぎ | 2011年9月22日 (木) 09時37分

磐井の時代の西暦400年に建立された高良大社について。
磐井の守護神社だったはずの神社が、大和朝廷の統治下になっても神社として継続しているのですが、ならば、そこにいる神様は何者?
10月は日本の神たちが出雲大社に集まることから神無月といいますが、高良の神様だけは出雲大社には行かないので筑後国では10月を神有月というのだそうです。
何様?
Wikiの解説によると、
~~~~~~~~~~~~
延喜式神名帳には「高良玉垂命神社」と記載され、名神大社に列している。筑後国一の宮。また、ご祭神の高良玉垂命は国内最古の神名帳とされる『筑後国神名帳』によると、朝廷から正一位を授けられたとされる。
~~~~~~~~~~~~
この高良玉垂命という神様は日本書紀にも古事記にも記録されていないとのこと。そのような神様を大和朝廷が正一位の神様として認めるわけがなく、大和朝廷側の神様を宛がわなければなりません。
「筑後国高良玉垂宮(中略)祭る所玉垂命なり。天平年中武内宿禰荒木田襲津彦を相殿と 為す」(「民部省図帳残闕」)
と、後年(天平年中=8世紀)になって、武内宿禰と荒木田襲津彦が高良大社の神様とみなされるようになったことが記録に残っています。
武内宿禰の母は山下影姫(紀国造の祖、宇豆彦の妹)です。荒木田襲津彦は武内宿禰の子ですが、葛城襲津彦という名のほうが一般的で、葛城氏の祖です。
荒木田氏は伊勢神宮内宮の禰宜の氏族。荒木田守武は俳諧の祖。

投稿: 乙四郎 | 2011年9月23日 (金) 01時06分

山下影姫とは
~~~(某ブログより引用)~~~
応神、仁徳王朝のキイマンは武内宿禰である。出自は開化天皇の父の孝元天皇と伊香色謎命の子の彦太忍信命の子の、屋主忍男武雄心命が紀伊の宇治彦の女の山下影姫を娶って生まれたとしている。物部の血が流れている。紀の国に武内宿禰誕生の地などの伝承が残るが、母とされる山下影姫の姿が見えない。福岡県小郡市の竃門神社、八女郡水田村の玉垂神社に祭神として祀られている。神社は少ないが存在する事は、紀伊の宇治彦の女の山下影姫は、実は九州の女であったのかも知れない事を示している。東征した神功皇后のモデルの女性かもしれない。

投稿: 乙四郎 | 2011年9月23日 (金) 08時39分

このブログ(↓)によると、山下姫こそが高良玉垂命につながるキーパーソンのようです。神功皇后のモデルかも、というのも頷けます。
山下姫については、かささぎの旗の昨年3月20日に詳しい。
山下姫様の末裔に平伏!!

投稿: 乙四郎 | 2011年9月23日 (金) 08時57分

偶然の一致か、運命の必然か。
このブログ(↓)の連載に、ちょうど、田油津媛と神功皇后の戦いのくだりがアップされました。

投稿: 乙四郎 | 2011年9月23日 (金) 12時32分

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