2017年6月20日 (火)

ミシンが使えないひとの裁縫作品

布をもらった。
スカートでもつくりなさいと、端切れを。
でも、あまり好みの柄ではなかった。
ので、エプロンにした。

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ついでに、断捨離で処分予定だった縞々のパンツでざつのうをつくってみた。

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全体像はこんなん。
で肩にかけたら、こんなん↓。


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ミシンでじゃっとやったら簡単なのでしょうが、ミシンが使えないひとはひと針ひと針縫ってつくりました。

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2017年6月19日 (月)

BIN-BON-BAN楽団のライブにて

佐賀の老舗家具店が経営する
ピザがおいしいと評判の
「ウッドスタイルカフェ」にて。

http://bbbgakudan.tokyo/

その名も、ビンボンバン楽団のライブ。

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観客は30人余りのこじんまりとしたライブ。

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ワンドリンクとワンボックスディナー付きで1500円。
安っ。
友人がハンドルキーパーをつとめてくれたので、わたしは気兼ねなくアルコールをいただく。
キンキンに冷えたハイボール、二杯目は500円。

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パーカッション、トランペット、ギター、バイオリン、そしてコントラバス。楽しくて元気になれる楽曲でした。
バイオリンを弾く、この年齢不詳のおにいさんはこの楽団の最年少メンバーで、27歳なんだと。個性的な面々でした。

楽器が弾けるっていいなあ。

秋にはアン・サリーがやってくるらしい。
http://www.annsally.org/profile/profile.html

予約、早めに入れとこう!

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ご飯にかける漬け物

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自家製の野菜をつかってつくりました。
ミニトマト、きゅうり、ズッキーニ、ピーマン、青紫蘇、ゆでたいんげん。
小さく刻んで、市販の麺つゆで混ぜただけ。

ご飯に、梅干しの実と、
この刻んだ野菜を混ぜ合わせて、
サラダ感覚の混ぜご飯に。

暑い日の昼食にぴったり。

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2017年6月16日 (金)

緊急渇水対策会議だそう。

梅雨入りしてから筑後地方には、
たった一日しか雨が降っていない。
畑はカラカラだし、
庭の紫陽花は枯れそうな塩梅だし、
用水路には水がないし。

地域の農業委員さんに呼び出しがあって、
どうやら緊急会議があったらしい。
緊急渇水対策会議。

来週、ダムの水が放水されることが決まったって。
このままじゃ、田植えできんもんね。

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続、ウコンの花

今朝、ウコンの花を抜いたら根っこがついてきた。

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ほんとショウガそのもの。

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違うのは色ですね。
真っ黄色でした。

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2017年6月 9日 (金)

ウコンの花

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ウコンの花は地面からいきなり茎が伸びて花を咲かせます。

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全景はこうなります。
てぃーさんがおっしゃるように、しょうがの葉とよく似ています。
「うこん」の材料となる根っこも小ぶりのしょうがのようです。

根っこを乾かして、
擦りおろしたものがウコンの粉としてお店に並びます。
ターメリックはもっと小さな粉末にしたもの。

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2017年6月 6日 (火)

幌付き軽トラ

わが家に軽トラックが来たのはわたしが小学校6年生のころだった。9歳違いの弟が3歳くらいのとき。はっきりした時期は、両親がいないので、もう確かめようがないのだ。

初めての自動車。
家族みんながうれしかったのだろう。
家族7人が軽トラに載って高良山まで初詣に出かけた。
運転席には父、助手席に晴れ着姿の母と末の弟。
幌をかぶせた荷台に、布団と座布団を敷き詰め、やはり着物姿のまだ50代だった祖母、20代の叔父、わたしとすぐ下の弟の4人が載った。おまわりさんがいるから顔を出さないようにと言われていたのに、わたしも弟も我慢しきれず、幌の隙間から顔を出してまわりの様子をうかがったものだ。高良山から帰るとき、交差点に立つおまわりさんと目が合ったけれど、おまわりさんは気づかないふりをしてくれた。

時代そのものが大らかだったあの頃。
いま、無性に父と母に会いたい。

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ミゼットとテーラー

リヤカーの次に運搬車としてやってきたのはミゼットと呼ばれる三輪の自動車だった。青い色のミゼットは中古車だったけれども、まだまだ珍しく、村じゅうの注目を集めた。
ハンドルは丸くなく、自転車のハンドルのようなタイプのもので、運転席に一人しか乗れなかった。荷台も狭くて、農作業には向かないミゼットは、わが家にやってきて、一年もしないうちにお払い箱となったのではなかったか。

ミゼットの次にやってきたのは「テーラー」と呼ばれる耕運機に荷乗せがついたものだった。テーラーがやってきたとき父の歓びようと言ったらなかった。得意満面の顔で写真に納まっている。荷台には小学校低学年のわたしが片手に布でできた人形を抱えて乗っていて、乗せてもらえなかった四つ違いの弟が泣きべそをかいているモノクロの写真。
さて、あの写真はいったい誰が持っているのだろう。

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リヤカーと松茸

ふとしたことがきっかけで幼い日々の、懐かしい記憶が蘇った。両親から聞かされた昔話のようなエピソードを記録しておこう。

長延という集落に持山としての杉山があった。まだ自家用車など無い時代、どんなに遠い場所でも歩いて行かねばならなかった時代のこと。両親は自宅から5,6キロ離れたその杉山へリヤカーを引いて作業に出向くのが日課の一つだったという。
ある年の秋、両親が杉山へ出向くと、松茸がたくさん生えていた。それこそ、やまのように生えていたんだと。
当時、松茸は個人の所有物とはならない決まりがあった。
たとえ自分の持ち分の山に生えたとしても、それは山がある区域の村に収穫の権利があったのだという。

もともとおおざっぱな性分の父が「俺んちの山に生えたんだから、この松茸は持ってかえる」と言い出した。父とは真逆の性格の母は反対したが父は言うことを聞かなかったそうだ。押し切られた母は仕方なく父に従った。何十本もの松茸をリヤカーの荷台に乗せ、筵で覆った。松茸そのものの姿は隠れたが、松茸特有の香りを隠すことはできなかった。松茸がぷんぷん匂うリヤカーを押してふたりは帰路についた。
長延村を抜ける間じゅう、母は生きたここちがしなかったという。
生きた心地はしなかったが、お咎めなしに帰り着いた自宅の庭で母は笑いが止まらなかったのだと。うれしくて。うれしくて。

その後、長延の山には二度と松茸は生えなかった。
「欲張ったけん、罰があたった」
この話を聞かせてくれるたびに母はそう付け加えた。

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初収穫

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ナス2本、ズッキーニ10本、ウコンの花たくさん。
今季、初収穫。

ズッキーニとナスでラタツィーユを、
掘りあげたばかりのじゃが芋で揚げないコロッケを。
今夜の献立、決まる。

姑が畑の隅に植えていたウコンの花。
とても美しい。

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さっそく仏壇に供えた。

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